知る人ぞ知るシェリー酒の魅力とは?
「もし私に1000人の息子がいたら、最初に教える人としての大原則は、水っぽい酒は捨てて、シェリー酒に没頭しろということだ」
──ウィリアム・シェークスピア 「ヘンリー4世第2章」より
スペインのアンダルシア地方で生まれたシェリー酒は、酒精強化ワインと呼ばれるものの一種。発酵が終わった白ワインにブドウ由来のブランデーを加えたもの。シェリーの度数は15~22%と幅がある。
「患者用のワイン」「老人のミルク」と呼ばれたり、「体のためには毎日シェリー酒を飲め。具合が悪いときにはいつもの倍のシェリー酒を飲め」という格言もあるほど。
地元アンダルシアスペインやイギリスなどではポピュラーで人気が高い。日本の有名人では、吉田茂元首相や俳優の松田優作が愛飲していたお酒としても知られている
ただし、日本においては一般的な認知度は、ワインなどから比べたらはるかに低い。
「ひなの宿ちとせ」でシェリー酒講座が開講された
そんな、シェリー酒の魅力を知ってもらおうと、2021年11月10日、松之山温泉の「ひなの宿ちとせ」にて、「シェリー酒講座」が開かれた。
講師として登壇したのは老舗のシェリー専門店「銀座しぇりークラブ」の和泉もも子氏だ。
約20人の受講生たちを前に、シェリー酒の歴史から話が始まった。シェリー酒の起源はなんと紀元前1000年までさかのぼる。スペインの南アフリカに近い海岸沿いの町カディスに古代フェニキア人が到来、ワイン造りがこの地方で広まった。
なかでも、シェリー酒が生まれた場所がセラ(Xera)というところで、現在のヘレス(Jerez)というスペイン南部の町だ。
酒の名称も、セラから紀元前200年ごろのローマ帝国支配下ではセレット(Ceret)に、その後紀元後700年のイスラム支配下でシェリシュ(Sherish)となった。
その後、イスラム支配から復帰し国土回復すると、へレス(Xeres)となり、その後大航海時代になってイギリスに伝わったものがシェリス(Sherries)となり、シェリー(Sherry)と呼ばれるようになったと言われている。
ちなみに本場のスペインではへレスとそのまま呼ばれている。
シェリー酒の作り方とその3タイプ
シェリー酒は白ブドウから作られる白ワインの一種。使われる白ブドウの品種は「パロミノ」「モスカテル」「ペドロ・ヒメネス」の3種類。
その製法を簡単に説明しよう。まず、普通の白ワインと同様に発酵させる。その後、アメリカンオークの樽(600ℓ)に移される。
ここからがスティルワインと違い、樽には全部入れずに空間を残し、空気に触れさせる。ここから2つのタイプに分かれるが、まずは発酵後のワインの液面に「フロール」と呼ばれる、酵母によってつくられた膜が付くものがある。これが酵母による発酵すなわち生物学的熟成の「マンサニージャ」や「フィノ」というタイプだ。
この時、フロールの下で熟成するこのタイプにはブドウ由来のブランデーが15%まで加えられる。15%という度数がこの酵母にとって一番活動しやすい度数だそうだ。フロールがあることによってワインが空気と触れ合わず熟成する。そして、酵母がワインの中の糖分を消費していくことにより、透明でスッキリした辛口の酒になる。
もう1つが「オロロソ」のような酸化熟成というタイプ。こちらは17%以上にアルコールを強化することにより、酵母は膜を張ることができなくなり、ワインは空気と触れ合って熟成する。酒精強化によってワインは劣化を回避し、酸化熟成させることで複雑な香りと味わいが得られる。同時に膜がないので酸化熟成が進み、褐色化が進む。
この基本の2タイプの他に、「アモンティリヤード」というタイプがある。これはフロールが付いた状態で熟成させ、その後フロールをなくして熟成させる。劣化防止として17%までブランデーが加えられたもの。
この他にブドウを天日干しにして水分を飛ばし、糖濃度を上げたうえで作る極甘口で黒蜜のようなシェリー酒もある。また、それぞれブレンドして、さまざまなタイプのシェリー酒が作られている。
ワインとの大きな違いは、以上のように「生物学的熟成と酸化熟成」そして、ブランデーを加えることが挙げられる。
さらにもう一つは「ソレラシステム」と呼ばれる混合熟成法だ。これは熟成期間中に新しい年代の酒を次々と継ぎ足していく熟成方法で、シェリー酒独特の製法だという。
辛口から極甘口まで、8種類のシェリー酒を飲み比べ
「それでは、皆さん、目の前にある8種類のシェリー酒を飲み比べてみましょう」
参加者の前には辛口から極甘口まで、8種類のシェリー酒が並らべられている。和泉氏に促され、参加者は試飲を始めた。
「濃厚だけど、しつこくなくてさっぱりしている」
「それぞれ味が全然違うね」
などの声があちこちで沸き起こる。
並べられていた8つのタイプを、簡単に以下で説明しよう。
- マンサニージャ(MANZANILLA)
フィノと並ぶ辛口シェリーの一つ。サンルーカル・デ・バラメダという海沿いの町で熟成されたもの。食前酒として飲まれることも多く、魚介や揚げ物料理によく合う。 - アモンティリャード(AMOMTILLADO)
フロールの下での熟成と、その後フロールがない状態での熟成の2段階熟成を経て作られたもの。複雑で切れのある味が特徴。 - オロロソ(OLOROSO)
フロールを付けずに酸化熟成して作られる。アルコール度数が17度から22度と高く、褐色で芳醇な味わい。力強く奥深い味は赤ワインと比較され肉料理や煮込み料理などに合う。 - ペール・クリーム(PALE CREAM)
フィノやマンサニージャをベースにMCR(濃縮精留果汁)などで甘味をつけたもの。軽やかでフルーティで甘く柔らかい風味が特徴。 - ミディアム(MEDIUM)
基本的にはアモンティリャードやオロロソをベースにペドロ・ヒメネスやモスカテルやMCR(濃縮精留果汁)などで甘味をつけたもの。糖分が1ℓ中5~115g含有される。琥珀色で最初は辛口が立つがしだいに甘味が増す。甘さは含有糖分によって幅がある。 - クリーム(CREAM)
基本的にはオロロソをベースにペドロ・ヒメネスやモスカテルやMCR(濃縮精留果汁)などで甘味をつけたもの。暗褐色で濃厚な味わい。糖分は1ℓ中115g~140g含有される。 - モスカテル(MOSCATEL)
モスカテル種(マスカット)のブドウから作られ、天日干しにしてより糖度を増したものを熟成させたものもある。モスカテル種のブドウならではのフルーティな甘みと同時に、爽やかさも併せ持つ - ペドロ・ヒメネス(PEDRO XIMENEZ)
過熟し、天日干しすることで極限まで糖度を高められたペドロ・ヒメネス種のブドウを使った極甘口で、ダークチョコレートのような色で、まるで黒蜜のような味わいが特徴。
長柄杓で注ぐ「ベネンシア」に挑戦!
試飲を終わると、参加者は旅館前のスペースでベネンシアの実践を行った。ベネンシアとは、弾力のあるグラスファイバー製(昔は鯨の髭が使われていた)の細い柄で、片手に持ったグラスにシェリー酒を注ぐ道具だ。
かつてシェリーの取引の際、樽に入っているシェリー酒の味見の際に使われたのがこのような長い柄の柄杓だった。
ベネンシアの語源は、ラテン語で契約を意味する「アべネンシア」(Avenencia)と呼ばれ、それがから派生したもの。このような注ぎ方を「ベネンシア」(Venensia)と呼ぶようになったと言われている。
まずは「しぇりークラブ」の竹部俊也氏が見本を見せる。「形」はいくつかあるそうだが、竹部氏は上体をあまり動かさず、腕の振りを利用して注ぐタイプ。
参加者も挑戦するが、なかなか初めからうまくはいかない竹部氏の動きを見ながら、各人その難しさと楽しさに時を忘れて挑戦していた。
会場に戻ってからは、Zoomでスペインの造り酒屋の紹介が行われた。スクリーンには和泉氏がかつてスペイン在住時代に懇意になったオーナー、ハイメ・ゴンサレス氏が登場。シェリー酒造りの苦労話などについて語ってくれた。
約2時間にわたる「シェリー酒講座」は盛況のうちに終了した。参加していた橋本秀昭氏は、自身が東京の渋谷区と中野区でカフェを経営、シェリー酒を出している。
「シェリー酒を知ってもらうということでは、今回のような講習会はとても有益だと思います。シェリー酒は悪酔いしないので、一度に2本3本空けてしまいます。でも次の日に残らない。体にいいお酒ですから、もっとたくさんの人に飲んで欲しいですね」と話す。
「ブラックシンボル」が生んだシェリー酒講座
今回講師を務めた和泉氏が松之山を訪れたきっかけは、ネットで松之山温泉街の奥に建てられた、オズボーン社の黒い雄牛のモニュメント=ブラックシンボルを見かけたこと。
「かつて数年ほどスペインに滞在していたのですが、その時よく見かけたのがシェリー酒ブランドの老舗であるオズボーン社の黒い雄牛の像でした。スペイン人にとってはとても身近で親近感のある像です。まさか同じものが新潟県の松之山温泉にあるとは。それで興味がわいて、メールで問い合わせたのです」と和泉氏は話す。
連絡を受けた「ひなの宿ちとせ」のオーナーの柳一成氏が、和泉氏と話すうちに、ぜひシェリー酒の講習会を開いて欲しいと依頼したという。
それにしても、なぜこの松之山温泉にブラックシンボルが建っているのだろうか?
「3年に1回行われる『大地の芸術祭』では、十日町市と津南町を含めた越後妻有地域に世界中の現代アートの作品が展示されます。2018年、第6回開催のとき、スペインの芸術家、サンティアゴ・シエラ氏は「私の国が持つ文化と越後妻有が繋がることができないかと考えた。いろんな景色を見てきて、松之山の美しく力強い自然がブラックシンボルとまるで結婚するかのようにピッタリと合った。この松之山のブラックシンボルが多くの人に見られ、この場所が有名になってくれたらと思っている。」と提案してくれました。また、オズボーン社のディレクター、イワン・ランツァ氏も実際に松之山を訪れ、「2018年は日本とスペインの外交関係樹立150周年の年でもあったが、それ以上に松之山が持つ自然環境に魅力を感じて、私達はこの場所にオズボーン社のシンボルを提供することにしたんだ。」と語りました。スペイン人2人の熱い思いと、松之山温泉住民の包容力により、この湯けむり沸き立つ場所ににブラックシンボルの建立が実現しました。」
柳氏はこのように経緯を語る(詳しくはこちらの記事で紹介しています)。
ブラックシンボルは地震や、3mを超える積雪に耐えられるよう、スペイン本土にあるどの像よりも頑丈なものになったという。
「ブラックシンボルを通じて、松之山とスペインのつながりができた。それが縁となってシェリー酒に詳しい人たちが興味を持ってくれて、今回のような講習会ができました。縁が縁を呼ぶとはまさにこのようなことをいうのでしょう」(柳氏)
松之山の地は不思議に人が集まり、さまざまなきっかけで縁が紡ぎ出されていく土地なのだ。