山間地であるにもかかわらず、豊かな水に恵まれた松之山。昔からその豊富な水を利用して棚田が作られ、おいしい米ができた。松之山の温泉街に供給される水道水も、きれいな湧水から取水されたおいしい水だ。普段何気なく蛇口からあふれる水がじつは名水と変わらない⁉ 松之山のもう一つの貴重な「資源」をレポート。

豊かな水に恵まれた松之山。標高300メートルを超えるところにたくさんの棚田が広がるのは、雪解けの豊かな水と、多様な植生の森、そして人々の営みの蓄積があったからこそ。

豊かな自然と人びととのかかわりが育んだ松之山の水

松之山のおいしい水道水をもっと味わい、飲もう──。
2022年春、松之山の温泉組合を中心にあらたな取り組みが始まった。
アドバイザーとして関わっている國學院大學観光まちづくり学部の井門隆夫教授はその経緯をこう話す。
「松之山温泉街は水道水の水源から5キロ以内にすべての施設が収まっています。その水源は河川ではなく松之山の豊かな森林と土壌によって涵養された湧水です。そのおいしさとよさを、もっと前面に出すべきだと考えました」
地域の人びとにとっては当たり前で、なんの変哲もないただの水道水だが、井門氏によれば違うという。
「標高300メートル以上の山地である松之山ですが水は豊富です。それは毎年冬に平均3メートルを超える豪雪に見舞われるというこの地域の特性が大きい。さらに豊かな森林があり、雪解けの水をたっぷりと保水する力がある。だからこそ水量が豊富でかつおいしい水が湧く。それを利用した水道水のおいしさを、もっと皆さんにお勧めしたいのです」
ちなみに豊かな森林は人との生活の関りの中で育まれてきたものだと井門氏は言う。
「この地域は昔から山菜取りや薪炭利用で人々が森林と関わってきました。それが森林の管理につながり、それによって森が健全に保たれる。森林が豊かになることで、水を豊かに蓄える力になる。松之山の水は、人びとの生活と、雪や森といった自然環境の関わりというストーリーの中で育まれたものなのです」
松之山のおいしい水を味わうことで、自然と人間が織りなしてきたストーリーを知るとともに、そのストーリーを知ることでさらに水の味わいが増す。温泉だけでなく、松之山の水そのものもまた大きな観光資源となるはずと井門氏は力説する。

湧き水から供給される松之山の水道の水の美味しさと効用を話す、國學院大學観光まちづくり学部の井門隆夫教授。

世界でもまれに見る豪雪地帯で、最古の文化が生まれたわけ

松之山も含めた十日町市は北緯37度の線上にある。ちなみにこの緯度には韓国ソウル、ギリシャのアテネ、ポルトガルのリスボン、アメリカのワシントンDCやサンフランシスコといった都市が並んでいる。
ソウル以外はいずれも温暖な気候であるのにもかかわらず、十日町市を含めた日本のこの地域だけが、大変な豪雪地帯であることにぜひ注目してほしい。十日町市立里山科学館「森の学校」キョロロの学芸員小林誠氏は、「これだけの豪雪地帯に、古くから人々が生活を営んで現在に至っている地域は、おそらく世界でもほとんどないでしょう」と話す。
この地域に降る雪は湿潤で重たい雪だ。東北や北海道の寒冷な地域の雪はパウダースノーでサラサラとしていて風に吹かれると積もりにくい。
緯度が低く、温帯地域での豪雪だからこそ、重く湿っていてしんしんと降り積もる。それが家の周りに積もるので風よけとなり、むしろ保温効果さえあるという。よく雪で作った「かまくら」のなかは温かいと言われるのと同じ原理だ。
誤解を恐れず思い切って言うならば、この地域の雪は「温かい雪」なのだ。正確に表現するなら、雪と土の接地面が氷点下にならない。近くの津南地区で栽培される「雪下ニンジン」は、だからこそ細胞が凍らず、糖度の高いニンジンになる。
だからこそブナを始めとして、豊かな森林が生まれ、いにしえより人々が定住した。かつて津南から十日町の周辺には縄文文化が栄え、その時代の遺跡が多数発見されている。そして唯一火焔式土器が出土する地でもある。世界で最も深い雪に覆われる地域は、同時に古くから人が棲み、文化が生まれた土地でもある。

毎年平均して3メートル以上雪が積もる松之山。特殊な地形がもたらす「温かい雪」が、冬の厳しさと同時に枯れることのない清らかな湧水という恵みをもたらす。

大陸と日本列島の成り立ちが「奇跡の自然環境」を生んだ

このような温かい雪=奇跡の雪は、日本列島と大陸、そして日本海という特殊な地形、自然環境がもたらしたものだ。
日本海という暖流が流れ込む海に、冬季にシベリアから冷たく乾風が吹きつける。すると乾燥した冷たい空気に、温かい海水から一気に大量の水蒸気が放出され巨大な雪雲を形成する。それが日本列島の山脈にぶつかって上昇し、大量の雪を降らせる。
大陸と日本列島と日本海。世界に二つとないこの絶妙な地形と環境が、北緯37度の温帯域での豪雪地帯という特殊な環境を生み出したわけだ。
ただし、この地域が豊かな森となり、さらに水の恵みを受ける土地となるためには、もう1つの自然の偶然=天の配材が重ならなければならなかった。
「約1200万年以上前、現在の魚沼、十日町、津南地区はフォッサマグナという日本列島を二つに分ける巨大な溝の中にありました。つまり海底だったのです。そこに土砂が堆積し、隆起していまの魚沼の山並みになりました。ですから、この周辺の山々は細かい泥や砂が堆積したもので、脆く崩れやすい。この地域には昔から土砂崩れが多いのもそのためです。ただし長い歴史の中でそれを繰り返しながら、急峻な山々はなだらかな緩斜面の多い地形になった」(小林氏)

松之山の名物の一つとなっている美人林は3haにわたるブナの二次林だ。ブナは雪に強い。雪の降らない太平洋側では標高1000メートル以上にブナ林が成立する。それに対して豪雪の松之山では300メートルの比較的低地にもかかわらず、雪のためにブナが優勢になるという。

夏はむせかえるような緑に覆われる松之山。落葉広葉樹を中心とした多様な植生と、なだらかな山間の地形が雪解け水を貯える力となる。

松之山を訪れるとわかるが、村全体が緩やかな斜面になっていて、家々が点在するとともに棚田が広がっている。そしてブナ林を始めとして様々な植生の森林が豊かに混在している。冬になると、その景色は3メートル超える雪で覆われ、春や夏のむせかえるような緑の景色とは一変する。しかしその雪は春から夏にかけて解け出し、森林の豊かな緑に覆われた山々の地層の中にゆっくりと染み込んでいく。
「なだらかな地形に豊かな森林があることで水が山の表層を流れ落ちることなく土に染み込みます。同時に森林の樹冠に覆われることで水分の蒸発も防げる。大量の雪解け水の多くが地中に浸透し、豊かな地下水脈となる。その水を今度は人間が棚田として利用し稲を育てることでさらに保水力、涵養力がアップするわけです」
いわばこの地域は雪、森林、土、棚田といった二重三重の「天然のダム」によって膨大な水を貯め込み、循環させている稀有な地域なのだ。

松之山温泉街の一番奥の崖で滝となって落ちる湯本川の流れは、そのまま温泉街の脇を勢いよく流れていく。左が夏の滝で右が冬の滝だが、水量がほとんど変わらないことに注目して欲しい。各写真の右上にある黒い牛のモニュメントがスペインのシェリー酒メーカーであるオズボーン社の「ブラックシンボル」だ。

松之山の水道水の歴史と特徴

「松之山町史」によれば、山間地であるにもかかわらず水に恵まれた松之山では、水道が引かれるまえは、おもに縦井戸で地下水を汲み上げて生活水を確保していた。それ以外は横井戸や自然の湧水、沢に流れる水などを利用していたという。
昭和30年代に入ると、高度経済成長を迎え各家庭の水の使用量が増え、衛生管理的なことからも水道の必要性が高まった。
十日町市役所の上下水道局の南雲壮一係長は、「松之山地区での水道の第一号は、昭和34年12月に給水を開始した湯本簡易水道でした。これはおもに松之山温泉街へ水を供給したものです。その後、松之山各地に簡易水道が整備されました」と説明する。
いずれも自然の湧水を利用したものが多いのが特徴で、それぞれ水源を異にする小規模な浄水場が部落ごとに点在し、その地域の水をまかなっているのが特徴だ。
「松之山の場合、水源が大きな河川ではなく自然湧水が多いので、きれいでおいしい水であることは確かです」(南雲氏)
現在、松之山には温泉街の湯本簡易水道を含めて、簡易水道と飲料水供給施設が計8か所あるという。
湯本簡易水道を供給する湯本浄水場に向かった。温泉街の中央の道を奥に進むと、やがて左手に白い湯気を立ち上げる2号泉の源泉があり、その先に20メートルほどの高さの急斜面が行く手を阻むかのように立ちふさがっている。その中腹にいまや温泉街の名物になった黒く大きな牛のモニュメントがある。
2018年の大地の芸術祭のときに作られたスペインシェリー・メーカ大手のオズボーン社のシンボルマークである「ブラックシンボル」だ。その左手には、高さ30メートルほどはあろうかと思われる滝が音を立てて落ち、温泉街へと流れていく。その水量と流れる音だけで、この地がいかに水に恵まれているかがわかる。そして右手には毎年1月に行われる行事「婿投げ」で有名な薬師堂が建っている。この薬師堂からも水が湧いていて、かつては地元の貴重な水源の一つであったという。

毎年1月に有名な行事の「婿投げ」が行われる薬師堂脇にある「子安観音」。観音様の乳房から松之山の湧き水がつねに流れ出している。

温泉街を見下ろすように建てられるそのモニュメントに向かって急な坂を上る。そして二股に分かれる道を左手に進むとすぐに、コンクリートで作られた四角い建物が雪の中に見えてきた。
「これが湯本浄水場です。平成に入って立て直されましたが、1日の最大給水量が410.2立方メートルで、温泉旅館も含めて約50戸の水を供給しています」。雪に覆われた施設を前にして、南雲氏が説明する。ちなみに取材した日の松之山の積雪は172センチ、それでも例年よりは少ないほうだ。「雪かきもしなければいけないので、結構冬は大変です」と、この地域の水道を管理する大変さを漏らす。
中に入ると、地下が掘られていて、大きな筒のようなタンクが2本並んで立っている。これがろ過装置で水源から引っ張ってきた湧水をろ過し、次亜塩素酸などで殺菌して供給する。
ちなみに水源によって加える薬品の量などを調整するという。
「基本的にきれいな水なので河川水ほど大掛かりな処理は必要ありません。それでも衛生面などから、殺菌など必要な処理を行います。ただその際も水源によって水質が微妙に異なり、それに合わせて薬品量を適正量にするなど、処理を変えています」と、南雲氏。松之山の水の美味しさと安全を確保するため、実に繊細な処理を行っているわけだ。
水源は2か所。主たる水源は岩見堂と呼ばれる場所で、湯本浄水場から2キロ近い山奥に入った場所にある。地図で見ると、そこから引かれてくる配管が、先ほど滝となって流れていた湯本川に沿って引かれていることがわかる。
いずれにしても、松之山の水がまさに降り積もった雪が森と山によって保水、浄化された、手つかずの清らかな水であることがわかるだろう。

松之山地区で最初に作られた簡易水道である湯本簡易水道の浄水場を紹介する十日町市役所上下水道課の南雲壮一係長。

浄水場の中にある2つのろ過装置。ここで取水した湧水をろ過、殺菌し温泉街に送られる。

飲料水、料理……各旅館で地元の水をさらに活用

このきれいで豊かな水道水という恵みを、もっと利用しようというのが、冒頭に明らかにした温泉街の新たな取り組みだ。いまや各旅館で浄水器を設置し、水道水に含まれている塩素を取り除き、さらにマイルドにしてウォーター・サーバーで宿泊客に提供している。
旅館明星の主人である長澤卓史氏は、「導入して1年ほどたちます。2階の浴場の手前の休憩スペースにサーバーが設置してあり、温泉を浸かった後など、お客様に飲んでもらえるようにしています。けっこう皆様に喜んで飲んでもらっていますね」と話してくれた。

旅館明星にお邪魔し設置されている日本トリム製の浄水器でろ過された水をサーバーのタンクへ入れるところを撮影させてもらった。

そのタンクを2階の温泉の入口にある休憩室に置かれたウォーター・サーバーに設置する旅館明星の長澤氏。各旅館ともこのようにしてお客さんに松之山の水を飲んでもらうことに力を入れている。

前出の井門教授はその取り組みをさらに説明する。
「できるだけ自販機を撤去するようにしました。どこでも飲める市販の清涼飲料水ではなく、ここでしか飲めない松之山の水を飲んでもらいたいからです。売り上げを考えれば自販機を備えた方がいい。でも、松之山の水の良さを知ってもらうことの価値を、温泉組合の人たちが理解し決断してくれたことが大きい」
あとは、浄水した水が料理に非常に合っているのだという。
「塩素が抜けるせいもあると思いますが、水がまろやかになって出汁の出がよくなりましたね」と、長澤氏はその効用を強調する。

松之山の水を使ったノンアルコールドリンクを開発!

「酒の宿玉城屋」では、このマイルドな松之山の水を使ってオリジナルのノンアルコールドリンクを作っている。
「お客様の中には、お酒が苦手な方もいらっしゃいます。そういう方でも食事のお供として飲めるノンアルコールドリンクの開発に挑戦しました」と話すのは、主人の山岸裕一氏だ。
2022年11月、恒例の「松之山フェスティBAR」で3種類のノンアルコールドリンクがお披露目された。1つは和梨をすりおろしたジュースに、雪国紅茶を発酵させたものを加え、酸味と旨味をプラスしたドリンク。もう1つは白ワインテイストで、松之山で採れたミント系のハーブとぶどうジュースで仕込んだもの。
3つめがホーリーバジルと玄米と菊芋、それに乾燥した柿を漬け込んで作った、複雑で優しい甘みのあるノンアルドリンクだ。いずれも松之山の湧水からなる水道水がベースになっている。この3つのドリンクは、「松之山フェスティBAR」での各旅館が出す料理のお供の飲み物として提供された。
料理に合うお酒をあらかじめシェフが選んで添えて提供することをペアリングという。「そのペアリングでもお酒を飲めない人がいて、ノンアルコールでのペアリングを研究しようというのが、そもそものきっかけでした」と山岸氏は説明する。
玉城屋は「酒の宿」と銘打つだけに、料理とお酒を楽しむ宿としても知られている。2020年の新潟ミシュランガイド特別版で、同宿は1つ星を獲得している。また山岸氏は近くの津南町にある苗場酒造と提携し、「醸す森」という日本酒のプロデュースにもかかわっている。
その山岸氏が、あえてノンアルコールに手を広げたのは、一つには先ほどのお酒を飲めない、あるいは飲まない人たちが増えているということ。
「もう一つは、ノンアルコールドリンクの方が、むしろ日本酒などよりも幅広くその土地の味を反映させることができる可能性があるということです」(山岸氏)
果物や根菜、ハーブなど、やり方次第でさまざまな地のものの味を取り入れることができる。
「そして何といっても水です。松之山の柔らかい水が、素材の味を引き立ててくれる。ノンアルコールドリンクだからこそ、この土地にしかない新しい〝ストーリー〟を作り出せると考えています」と山岸氏は目を輝かせる。

リンゴをすり下ろしたジュースに発酵させた雪国紅茶を加えたノンアルコールドリンク。

ミント系のハーブとぶどうジュースを加えた白ワイン的なドリンク。

松之山というと温泉が有名だが、これからは水にも注目していきたい。
1200万年前の化石海水温泉に浸かってたっぷりと汗を流した後、松之山の自然の恵みと奇跡が生み出した水、それによって作られたドリンクを飲む。体の中に残った古い水を捨て、松之山の清らかな水に入れ替える──。これこそ究極のデトックスではないだろうか?