今でこそ、古き良き日本を思い起こさせる景勝地として人気を博している棚田だが、20年程前まではほとんど注目されることがなかったという。その棚田の魅力に気づかせてくれた1人の写真家がいる。イギリス出身のジョニー・ハイマス氏だ。彼は日本の棚田の美しさを表現した写真集を数冊出しているが、その中の一冊「おこめ」は松之山のとある棚田の米づくりを写したものだ。その棚田の持ち主だった小口恵一さんに、当時の思い出や棚田に対する思いなどを聞いた。

小口恵一さん

小口さんがハイマスさんと初めて顔を会わせたのは1995年の「筑紫哲也 ニュース23」での対談。そこでの出会いがきっかけで約1年間にわたり取材を受けるようになった。小口さんは当時を振り返り、「なぜこんなに一生懸命に写真を撮りに来るのだろう」と不思議に思っていたそうだ。当時、棚田は全国的に今ほど注目されておらず、他に写真を撮りに来るような人もいなかったという。小口さん自身にも、棚田に対して「美しい」というようなイメージはなく「自分で管理しているから、大変だろうな、という思いが強かった」と話す。大型の機械を入れることが難しく、作業の中心は肉体労働。小口さんにとって棚田は手間のかかる田んぼに過ぎなかった。

ハイマスさんの印象について、はじめは写真家には見えなかった、と話す小口さん。取材を受けるうちにそれが変わっていったという。「棚田を全体で捉えるだけでなく、稲の花だけをアップで撮ったりするんです。それを撮影するために、何時間もじ~っと待っていたりする。実際に農業している人と写真家とでは、やっぱり感じ方が違うんだなと」。稲の開花は午前中の2時間ほど。小口さんには見慣れた光景だが、海外出身のハイマスさんにとっては、そこでしか見ることが出来ない貴重なものとして映ったに違いない。「よそ者」の視点で、ハイマスさんは棚田を丁寧に取材していった。

翌年の1996年、写真集「おこめ」が出版。また同時期にテレビやラジオでの露出も多数あったとのこと。そのおかげで、徐々に松之山の棚田が全国的に注目を集めるようになる。すると小口さんを含め松之山に暮らす人も棚田を「手間のかかる田んぼ」としてではなく、その景観としての美しさを意識するようになったという。「その土地にずっと住んでいたらわからない良さに、他所の人から指摘されて気づかされることがあるんですよね。ハイマスさんが気付かせてくれた」。海外出身のハイマスさんが、松之山の棚田の魅力を再発見してくれたのだ。

棚田

そんな小口さんには若い頃、棚田での米づくりに見切りをつけていた時期があったそう。20代のはじめ、松之山を離れ上京。農家の長男が実家を出るということは、当時としては考えられないことだった。都会に憧れがあったわけではない。「棚田での米づくりは、10年先、20年先の未来は難しい、そんなふうに考えていました」。関東で十余年を過ごしたが、結婚相手の女性が同じ松之山出身であることと、子供の成長が理由となり、松之山へ戻り兼業農家の道を選んだ。その約30年後、ハイマスさんと出会う。

松之山の棚田に注目が集まりはじめた当時は、松之山の農業の大変な面ばかりを報道するようなメディアも少なくなかったとか。しかし、そうした捉え方に小口さんは違和感を感じていた。「棚田での米づくりは楽ではないけど、楽しい瞬間もたくさんある。そういった側面もきちんと報道して欲しいと思っていた」。棚田で米づくりをやり続けて約30年近く。ハイマスさんとの出会いを経て、松之山での暮らしや自身の農業に、誇りを感じるようになっていたのだ。

棚田と小口恵一さん

ハイマスさんが気付かせてくれた景観としての魅力に、そして松之山の農家としての誇り。上京した20代の頃とは違い、今では棚田を大切に思う気持ちは強い。しかしその棚田は今、存続の危機にある。

山間地は道が狭く、大型の機械を入れることができない田んぼも多い。肉体労働だけでは続けることができずに、休耕になる田んぼも増えている。「農業効率だけを考えていては、棚田を守ることは難しい」。棚田存続の難しさは、長年米づくりに従事してきた小口さんが人一倍知っている。

それでも、近年になり棚田への思いを一層強めているのには、理由がある。「去年、今年と小雪だったんですが、そのせいか今年の春、自宅の井戸水が枯れかけているんです。上の方の田んぼが荒れてしまっていることが原因ではないかと」。自然のダムとも言われている棚田。その棚田が減ってしまったことで、貯水機能が低下したのではないかと小口さんは考えているのだ。「景観としてももちろんですが、資源としても大切だと、身をもって知ったんです」。その土地に住んでいるからこそ、気付くことができた新たな棚田の価値。「棚田を守るってことは、平野も潤うってことだから。大変だろうけど、やっぱり守っていかなければならない」。

語り手:小口恵一さん
松之山で長年稲作を営む兼業農家。TBSテレビ「筑紫哲也 ニュース23」など、昔ながらの手間ひまかけた米づくりをする農家として、テレビやラジオなど多数出演。

写真集「おこめ」

写真集「おこめ」と小口恵一さん

写真集「おこめ」と小口恵一さん

棚田と小口恵一さん

小口恵一さん

棚田

 

棚田の景観スポット

昔ながらの景観を残した棚田が、今も松之山にある。その主なものをいくつか紹介したい。

●大荒戸の棚田
大荒戸の棚田

●黒倉の棚田
黒倉の棚田

●新田の棚田
新田の棚田

●天水越の棚田
天水越の棚田

●狐塚の棚田
狐塚の棚田

●留守原の棚田
留守原の棚田

●湯山の棚田
湯山の棚田